人それぞれに不愉快なことがある。

 

不愉快なことが起きなければ良いのだが、世の中はそれほど甘くない。

 

また、自分の不愉快と他人のそれとは異なるので、友人に相談しても

 

「そんなの大したことないわよ。気にしないことね」

 

と一掃されることも多い。(まあ、有難いことでもあるけれど・・・)

 

さて、不愉快がもたらすマイナス感情が流せるならば流したいところであるが、そう易々とできないならば、いっそ 滅多切りして、分解し中身をみてやろうというのも一案だと思う。

 

この際、不愉快なる感情から逃げずに対峙。じっくり向き合ってみようではないか。

 

何が、不愉快と思わせているのか?

 

つまり、背景にあるものは何かということである。

 

そこには、自分の信念、価値観、常識、固定概念があり、そこに反するから心がチクチクと反応するのである。

 

なぜに、反応するのだろうか?

 

そうなのだ。

 

不愉快と思わせる事象が、自分を縛っていたのではない。

 

自分自身の信念、価値観、常識、固定概念という思い込みが、自分を縛り苦しめていたのである。

 

自分の内側に見つけた。自分の心を翻弄しているものを。

 

さて次は、構造の視点で眺めてみる。

 

何が、自分の価値観に影響を及ぼしていたのだろうか?

 

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わたしたちは、既に構造の中に産み落とされている
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例えば、私たちは生まれ育った環境に影響されていると言うけれど、それは国も含まれる。

 

たとえ自分が意識していようがいまいが、文化風習という空気みたいに醸されていることからも、影響を受けている。

 

例えば、義務教育、法律、資本主義社会など。

 

学生時代に習ったことを時折思い出すことはあるけれども、普段 資本主義社会の中で生きていると実感することは、あまり無いと思う。

 

常識、固定概念、当たり前と思っていることに「あれ?これって正しいのだろうか?」と流れに掉さすような時。

 

この臨場感が高まる時は、当たり前を反転させる時に実感することができる。

 

例えば、社会主義、共産主義の環境で暮らすとか。

 

しかし、これはなかなかできないので、非現実だろう。

 

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真逆のことを体験すれば、本当に大切なことが意識に立ち上がってくる
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現実的に可能なこととして、不愉快なことがあったあらば、

 

何が、わたしに不愉快だと思わているのだろうか?

 

自分を外側から俯瞰してみると良い。

 

その次に、どう対処するかを考えてみる。

 

不愉快を、逃げる、離れる、それとも、戦う? 取り込む? 忘れる?捨てる?

 

食べる?炒める?揚げる?遊ぶ?投げる?泳がす?鳴らす?慣らす?たたむ?重ねる?折る?

 

色々な動詞で考えると発想が広がる。

 

せっかくなので、不愉快をもてあそんでみる。

 

すると、不愉快も、まんざら悪くないかもしれない。

 

感情的に考えるとどうしても巻き込まれる。客観視しづらい。

 

なので、一旦突き放して冷静に眺めてみる。言葉を「使用」で捉えてみる。

 

言語分析してみると、あらたな発見があるものですね。

 

不愉快とは影法師のようなもの…かな。