今、世の中では「自己肯定ブーム」のようです。

 

書店には「自己肯定するための方法」的なタイトルが並んでいます。

この現象の背景にあるのは、今世の中には自己肯定されたい人が

多いという潜在的ニーズがあるということなのかと推測できます。

 

誰かから肯定して欲しい。

 

しかし、誰もしてくれないならば、せめて自分で自分を肯定

しましょうということで、「今すぐできる」「一瞬でできる」

という表紙タイトルが手招きして誘惑してきます。

 

その甘い言葉に思わず誘われて、パラパラッとページをめくると、

今すぐ使えるテクニックや自分を癒す効果的な方法が提案されています。

 

しかし、思うのです。

 

「そんなに簡単に解決できると書かれているのに、

 心が晴れない自分は何なのだろう?」

 

カンタンお手軽に自分を扱おうとしている事自体が、

自分を軽んじているのではないだろうか。

 

自分を肯定したいはずなのに、実は自分の扱いが雑なのです。

 

自己肯定したいという思いを成就させたい。

けれども、難しいのは面倒だから嫌。

 

簡単お手軽、いや時短でムダな努力をせずに効率が良い方法で最短最速で身につけたい。

 

それは、本当に正しい解決方法なのでしょうか?

 

方法論の前に、問題のとらえ方が違っているのではないでしょうか?

 

問題を表面でなぞるのではなく、問題の大元をすくってみる。

 

なぜ、自己肯定を欲するのか?

 

自分が認められたい、自信をつけたいと思うならば、自分に

向き合っても答えは自分の中には無いのです。

 

なぜならば、社会との連関が実感できたときに自分の存在が

実感できるからです。

 

なので、そもそも出発点が間違っているのです。

 

自分の中に答えは無い。
社会の中に、自分の存在理由という答えがある。

 

なので、自分一人の主観で自己肯定するよりも、社会から肯定される

自分になるほうがよっぽど賢明といえるでしょう。

 

社会の中に、自分の居場所を見つけること。

 

社会の課題、困り事という鍵穴に、自分の能力という鍵を差して

扉を開けると世界が広がります。

 

なので、自分の能力を研いで磨いて突出させることで、鍵の性能を

高めるとオリジナルだと認められることも増えるのです。

 

そのためには

 

安直に自分をほめず、自分の価値を過大評価せずに、

冷静に冷徹に自分を俯瞰してみる

 

こうすることで、概ね他者評価に近づけるというものですね。

 

「あ~、今日も至らなかった。まだまだできることはあったはずだ」

 

ベストを尽くした日ほど、自己否定の質が高まるのです。

 

これは、本当に結果を残している人ほど臨場感が高いのではないでしょうか。

 

人事を尽くして尽くして、ベストを尽くしたからこそ天命を受け入れる。

 

抗えない摂理があることを想定した現実思考だからこそ、

自分を越えた結果を受け入れるために、せめて自分で出来得る

限りの努力は当たり前だということ。

 

そう考えると、「自己肯定したい」などと、自分の内面探しを

している時間や労力、余裕をかましている場合ではないのです。

 

自分の内面に興味を持つより、自分の外側に働きかけることで、

結果的に社会から肯定されます。

 

自己評価と社会からの客観的評価のどちらが信頼されるかは

言うまでもないこと。

 

社会と自分との関わりの中でこそ、自分の能力が活かさせます。

 

否、社会の中でしか人の能力を活かす場所も場面も無いのです。

 

安直に肯定するということは、本来ならば突き抜けていく才能に妥協

または温存という蓋をしてしまっているという見方もできます。

 

なので、かけがえのない自分を活かすために、安直に肯定するのではなく、

さらなる高みを目指して「自己肯定」を反転させて「自己否定」に

一石投じてみました。

 

あなたの心がザワザワしてくれると嬉しいです。

 

なぜなら、違和感こそがアウフヘーベンつまり成長の起爆剤になるのですから。