名前は誰のため?言葉の使い方を制するものが相手の思考を制する

目次

名前は誰のためなのか?

一般的は、名前は本人の幸せを願って命名すると思います。 確かにその通りなのでしょうが、夕方ニュースの5分の番組コーナーを見ながら、あらためて考えてみたのです。 「名前を声にするのは、誰だろうか?」 自分自身が発音するときは、自己紹介の時ですよね。 しかし、私たちは、自分で自分の名前を名乗るよりも、他者から名前を呼ばれる方が、回数として多いのではないでしょうか? ということは、他者が発音したくなる音であるほうが、多くの人が名前を読み上げ、呼んでくれる、つまり存在を認めてくれるのです。 名前とは、声にする人が幸せになるためのものである 命名は、本人を他者と分けて特定するためのものです。 けれども、それだけの機能であれば、どんな言葉であっても問題にはなりません。 しかし、誰かに名前を呼ばれることを想定した時、発言したくない言葉ってありますよね。 例えば、30年くらい前でしょうか? 子どもの名前を命名するとき、「あくま」という命名の是非について論争がありました。 人の命名において、法律においては禁止されることはない。 道義的な考えや倫理観を持ち出すことと同時に、命名は個人の自由だという権利の主張もあります。 また、法律では、一定の年齢になると、本人の意志で自分の名前を変える手続きをとることも可能です。 ただし、命名された瞬間から、間違いなく、名前は当人のアイデンティティの確立に大きく影響を与えます。 それは、自分で自分の名前を書いたり名乗ったりする以上に、周囲の人から名前を呼ばれることのほうが機会は多いのです。

命名とは、初めての社会との関わりの儀式

名前とは、本人のためのみならず、他者の幸せをも祈るものが社会に招き入れてもらえますね。 声に出して読み上げたくなる名前なのか? それとも、声に出したくない音なのか? 命名とは、単に、他者と区別するだけの機能ではありません。 命名とは、社会に、どのように受け入れられるのか? その後の人生に関わる重要なことなのです。 だからこそ、幸せになる読み方、幸せなイメージを想起させる漢字(ひらがな、カタカナ)は、命名された本人を中心に、みんなと幸せが共有できます。

名前とは、祈りである

その子が、社会から歓迎されるように、本人以外の人の幸せも願う。 名前とは祈りである

構造の中で生きる

当たり前ですが、人は、自分1人だけで生きることはできません。 この世に誕生した瞬間から、社会との関わりがスタートします。 「この子が幸せになりますように」 親であれば、誰だって我が子の幸せを願うのは当たり前です。 それと同時に、周囲の人から受け入れられ、社会に歓迎されるために、みんなが呼びたくなる名前、音はどんなのが良いかな? 少し俯瞰して見てみると、新しい気づきを得ることができますね。
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