リーダーシップの光と影「ヒトラーとチャップリンに学ぶ人間成長・自己実現」(叱りの達人)

世界的偉人であるヒトラーとチャップリンによるリーダーシップを、叱りの達人協会(有限会社ハートプロ)叱りの達人河村晴美氏による解説。両名の光kと影、社会に与えたインパクトを単なるスピーチテクニックではなく、育成や教育に携わるすべての指導者リーダーへ、人間成長の本質について解説。強制やトップダウンによる功罪、甘やかしによる欲望の奔放のデメリットを踏まえて、なぜ叱ることが重要なのか?叱る先にある、自己洗練、そして自己実現の領域へ達する人間成長のプロセスを1枚の図解で解説。詳しい内容は、叱りの達人協会公式サイトをご覧ください。https://shikarinotatsujin.com/
leadership
アドルフ・ヒトラー。チャールズ・チャップリン。

「この二人の名前を聞いたことがない」という人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

独裁者と喜劇王。
この対比が見事に描かれていて、とてもおもしろかったです。思わず録画して、一人で3回見返したほどです。

河村晴美の視点で「人々を導くリーダーシップ:人間成長・自己実現のために」皆さんとシェアしたいと思います。

番組の詳しい内容は、NHK公式サイトでご覧ください。
参照:NHK-BS番組「ヒトラーVSチャップリン~終わりなき闘い」

目次

ヒトラー、チャップリンの共通点と相違点


アドルフ・ヒトラー(以下、ヒトラー)は、第一次世界大戦までは無名の一青年でしたが、人種主義と反ユダヤ主義を掲げて、ドイツ国家元首にのぼりつめ、第2次世界大戦では、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こした人物です。

そして、チャールズ・チャップリン(以下、チャップリン)は、映画俳優さらには映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家としても活躍しました。

それでは、この二人の共通点と相違点を見ていきましょう。

ヒトラーとチャップリンの共通点

共通点はたくさんありますが、ここでは際立った3つをあげます。

■ヒトラーとチャップリンの共通点
・同級生(誕生日は4日ちがい)
・トレードマークが、特徴的な口髭
・人を煽動(または魅了)する手段を熟知

誕生日が4日ちがいであること、ご存知でしたか?私は、この番組ではじめて知りました。
(ヒトラーは、1889年4月20日。チャップリンは、1889年4月16日。)

そして、両者ともに人の心をつかむ手段は卓越していました。並外れた才能の持ち主でありましが、さらに研究に研究を重ねていきました。それは、スピーチスキルつまり話し方にとどまらず、映像を含めた演出方法は、研究に研究を重ねて行っていたことは残っている映像作品を見れば一目瞭然ですね。

ヒトラーとチャップリンの相違点

次に、相違点について見てみましょう。

ヒトラー
・恐怖で扇動
・思考停止させて服従

チャップリン
・娯楽(映画)で魅了
・笑いでストレス発散

ヒトラーもチャップリンも二人とも、当時の人々の心を鷲づかみしました。

しかし、人々を動かした方向は真逆でした。

【人を動かす】怒る・甘やかす・叱るの関係性

人間成長のプロセスを、教え育てる関わり方の主な3つのアプローチ(怒る・ほめる・叱る)について、1枚に図解したものです。人間成長に関することなので、子育て、教育、社員や部下育成など、教育や育成に関する場面や関わり方に活用ができる普遍的な概念です。この概念の図解、画像は叱りの達人協会 叱りの達人河村晴美氏による考案。詳しい解説は、叱りの達人協会公式サイトに掲載されています。https://shikarinotatsujin.com/
この図解画像の作成および著作は、叱りの達人協会によるものです。
人間成長のプロセス(怒る・ほめる・叱るの違い)著作:叱りの達人協会


ここで、あなたと共有しておきたいことがあります。先に記します。
ここは、戦争の是非、歴史の検証、映画の品評論、または二人の人生を振り返るノスタルジーに浸ることではありません

そうではなく、見事な対比を見せてくれる著名な二人を事例として、私たちが人間成長していくためにの必須のプロセスを考えていきましょう。

怒る:指示/命令「するべき」

さて、あなたの組織では、こういうことありませんか?

「〇〇するべきである」
「〇〇してはいけない」

確かに大事な職場のルールはあります。
しかし、一方で単に昔から言われているだけで、今現在には当てはまらないことや、(なぜそうなっているのか?)意味不明な謎のルールとか、ありませんか?

それら形骸化されているルールについて、(これって今でも必要なのか?)と疑問を持たないことは、思考停止に陥っているのことなのです。

これが、ヒトラー的な関わり方です。

人々の思考を奪う、考えさせずに、ついて行けば良い。理由や背景、目的を伝えずに、ただ「言うことを聞け!」恐怖で動かし、思考を奪うことは、まさに「怒る」動かし方です。

②甘やかす:本能/奔放「したい放題」

一方で、組織ではこんなこともありませんか?

「ルールなんて窮屈だ。自由に好きにやらせてほしい」
「個性の発揮をはばむと、良いアイデアも発想も出てこないよ」
「個人を型にはめるなんて、パワハラだ!」

確かに、圧をかけられると反抗したくなるし、跳ね返したくなりますよね。その気持ちはわかります。

ただし、何でもかんでもしたい放題やりたい放題、好き勝手にしていいのか?というと、これでは社会秩序が保たれません。

お腹が空いたから、他人のものを許可なく盗んで食べた。

これは、窃盗は法律に違反する行為です。

眠かったから、朝起きれずに、連絡もせずに会社を遅刻した。

これも、会社の規則に反する行為で、場合によってはお給料の査定や人事査定にひびきます。このように、自分のわがままを通うそうとするのは、大人のかまってちゃんであり、駄々っ子です。

これは、その人らしさを否定することとは全く異なる次元の問題です。

一人一人の人間尊重は大切ですが、自分勝手を放置すると、周囲に迷惑をかけてしまい、全体調和を乱してしまいます。

なので、自分勝手な甘えは、本人にとっては本能と奔放を満たすことなので快感かもしれませんが、周囲にとっては、ただのはた迷惑な存在です。

その人らしさを否定することは、多様化する社会の動きとは真逆の方向へ行ってしまいます。

ただし、組織において、行動基準やルール、約束事がまったく無いのも困りませんか?

行動基準がなくて、皆がそれぞれ自分の良し悪しで判断し、なんとなく、空気で察する。

これって、すべて忖度で進んでいくことです。

「決まり事やルールに縛られたくない!」この考えは、どこから生まれたのでしょうか?

■ルールに縛られたくない欲求の根源
・好き勝手にしたい
・縛られるのは嫌だ
・自分らしくありたい

もし、上記の考えが根底にあるならば、考え直す必要があります。

なぜならば、理性ではなく本能。自己コントロールができていないと、組織の中では他者貢献できないというだからです。

・他者貢献より、自己中心が優先。(自分さえ良ければいい。他者はどうでも良い)
・誰かの迷惑を顧みず、まずは自分の本能を満たしたい。

あなたはそれで良いかもしれませんが、周囲の人はこのような人と一緒に働きたいと思うでしょうか?

自由への欲望が、他者との関わりを阻害している

チャップリンが作った映画は、人々の日々の疲れやストレスを発散してくれました。

映画という娯楽は、人々の不満や社会へのうっぷんを、時にパロディとして社会や政治を揶揄したりして、どうしてもないやるせなさを発散させてくれました。

しかし、それだけではいけないのです。

③「怒る」と「甘やかす」の共通点

意外かもしれませんが、実は「怒る」と「甘やかす」には共通点があるのです。

「怒る」と「甘やかす」の共通点とは、共依存

共依存とは、怒る側と怒られる側が、お互いに依存し合いながら相手がいないと自立できない状態になっていることです。そして、その関係は、甘やかす側と甘える方と同じ関係性を作っているのです。

怒ることは、相手に甘えること
甘えることは、怒ってほしい

誰かから怒られることで、自分を制御し、誰かに甘えることで、自分を満たすことを渇望しているのです。

(怒る側、甘やかす側)

誰かを怒ることで、自分の強さを誇示して存在を示す
誰かを甘やかして頼られることで、自分の存在を示す

怒る側も、怒られる側も、共に依存関係です。
甘える側も、甘やかす側も、共に依存関係です。

私たちは、真に人間成長していくためには、自立しなければいけません。自立していく、そのために「叱る」があるのです。

「叱る」とは、人間を洗練していくこと


「叱る」ことは、人間として成長する目的のための単なる手段です。
「叱る」ことが、目的化すると、支配が生まれてしまいます。

「叱る」本質とは、自分で自分を律することができるようになる。そのための手段にすぎません。

そして、当然ですが「叱る」ためには「叱る」側が在り方を示す必要があります。

「叱る側」がまずは自分を律して、自分を省みることが必須です。その上で「叱る」を発動して、「叱られる側」の自律を促す。

「叱る側」と「叱られる側」が、共に自立し自律するように、互いに関わることで、洗練していくのです。

洗練とは
・水のように、変幻自在
・鋼(はがね)のように練り上げ、強靭

水はイメージしやすいですよね。一方で、「練る」ことが、強くて強靭こととは、どういうことなのか?疑問に感じる方も多いことでしょう。

事例を示します。鉄を「練る」ことで強靭になっていく。それは、「日本刀づくり」です。実際に、河村晴美は日本刀を制作する現場で、火の粉が降ってくるほどの距離で、間近で見て感じました。

奈良県天理市にある、日本刀作りの現場と、大阪の堺に工房を構えている水野鍛錬場を見学させていただき、日本刀をつくる職人さんから直接教えていただいたことです。ものづくりは、言葉作りの宝庫でもありますね。

日本刀を作るための「玉鋼」今でも、出雲にある古来から伝わるたたら製鉄で作られている。この写真は、堺の水野鍛錬所にて、叱りの達人河村晴美が実際に見学して、玉鋼を手にして写真に撮らせていただいたものです。
日本刀を作るための「玉鋼」今でも、出雲にある古来から伝わるたたら製鉄で作られている

日本刀を作るには、今でも出雲地方にある、たたら製鉄の玉鋼(たまはがね)から作ります。玉鋼は、鉄を高熱で溶かして、トンチンカンと何度も打ち付けることで不純物を排除して、鉄成分の純度を高めて作られます。

実は、この工程を表す言葉が、鍛錬。そして、トンチンカンも日本刀を作る工程で生まれた言葉です。

ちょっと話がマニアックな方向へ逸れてしまいました。話を元に戻しましょう。

他のところの定義はそれぞれ自由。叱りの達人協会でお伝えしている「叱る」とは、人間を「洗練」させるためです。

そして、「洗練」とは、

  • 水のように、変幻自在
  • 鋼(はがね)のように、強く鍛錬

そして、叱ることは目的ではありません。
人間成長に欠かせない、関わり方の1つです。

さあ、叱る・叱られるその先のステージへ一緒に上がっていきましょう。

自己実現とは、自己を律する上で実現できること


自己実現とは、自分のすべてを使いきって自分の存在を示すことです。
自分の肉体、能力、才能、人格すべてを使いきって生き抜くということです。

このステージに到達する前には、他者依存は卒業しました。自分の本能を好き勝手に発散、やりたい放題の思考は叱られることで自分を律する必要性を学びました。そうやって、ようやくこのステージ、自己実現ステージに上がってきました。

ここでは、他者から叱られるのではなく、己が己を叱咤激励するのです。

自分の内なる神が自分を見張っています。自由。まさに、自分に由(よ)るステージです。

誰からの管理下ではなく、自分で自分を制御し解放する。当たり前ですが、誰かに見られていなくても、手抜きも妥協もしない世界です。思いきり自分を解放し、限られた命を使いきりましょう。

ピーター・ドラッカー教授はコンサルティングを依頼してくる企業の経営者へこう質問したそうです。

経営学者ピーター・ドラッカー教授による一流のコンサルからの質問

「あなたは自分が亡くなった後、自分の墓標に何と刻まれたいですか?」

その答えの内容次第で、コンサルティングを引き受けないこともあったのだそうです。

アップルを創業したスティーブ・ジョブズ氏も、毎朝洗顔した時に、鏡の中の自分に向かって、こう問いかけました。

アップル創業者スティーブ・ジョブズが毎朝自分に問いかけたこと

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」

自己実現する生き方に、必須の考え方ですね。

自己超越とは、執着を解く(ほどく)こと

実は、人生の最終ゴールは自己実現ではありません。自己実現とは、あくまでも自分個人の領域のお話です。

この先が人間の最終ゴール。それが、自己超越です。

この領域は、自分という概念から完全に解き放たれています。自分とその他を分け隔てる境界線がないのです。

自分は全体であり、全体が自分

誰かとか何かとの対比ではなく、調和です。

自己を解く(ほどく)が、仏(ほとけ)の語源です。(諸説あり)

つまり、悟りの境地ですね。このステージに到達した人が必ず言う言葉。

それは、「生かされている」

自分の意思とはかけ離れた、大いなる意思によるエネルギーによって生かされいます。

ちょっと、スピリチュアルの領域に入ってしまいました。この分野は、河村晴美の専門領域ではないので、これ以上の説明はやめておきます。というか、専門外なので語れません。

語りえぬことは沈黙しておきます。

まとめ:人間成長の本質を1枚の図解化


では、まとめていきましょう。

ヒトラーとチャップリンの対比をふまえて、人を育てる時の「怒るVS甘やかし」を考察しました。それら2つの共通点である「共依存」を乗り越えて、「叱る」関わり方を通して次のステージ「自己実現」についてお伝えしました。

そして、自己実現にとどまらず、さらにその先のステージへ。

「自己超越」

ここは悟りの境地ですから、なかなか凡人には到達し得ない境地ですね。

ビジネス領域で活動している、私たち凡人は、せめて「自己超越」は無理だとしても、「自己実現」は目指したいものですね。というか、めざしましょう!

そのためには、単に指示命令するだけでは人は動きません。また、「個性の発揮だ!」と実力も無いのに我がまま放題では、ビジネス市場ではあっさり「退場!」と言われかねません。

ビジネス市場つまり資本主義社会で、幸せに生き抜くためには、自分を洗練させていく必要があります。

水のように、鋼(はがね)のように。
お互いに自律し、お互いに自己実現を喜び合う。

そのような社会になるために、正しい「叱り方」を身につけてみませんか?

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