「どうする家康」に学ぶ260年繁栄し続けるリーダーシップ(叱りの達人)

NHK大河ドラマ『どうする家康』に学ぶリーダーシップの極意について、叱りの達人協会(有限会社)然りの達人河村晴美氏による解説。260年の続いた徳川幕府を開いた家康公の人生の中でも特にピンチだった三河一向一揆、武田信玄に敗れた三方ヶ原の戦いなどの歴史から紐解いたリーダーとしてのあり方は現代にも活かせる普遍性があります。家康に学ぶリーダーシップを河村晴美氏の独自視点で一行で表現。『忘れて、許して、仲間に率いれる』。詳しい解説は、叱りの達人協会(有限会社ハートプロ)公式サイトに掲載されています。https://shikarinotatsujin.com/
「どうする家康」リーダーシップ叱りの達人協会による解説
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」(主演:松本潤さん)が早くも話題になっています。徳川家康は、戦乱の世を終えさせて、そののち約260年続く徳川幕府を開いた、誰もが知る存在です。

群雄割拠した戦国時代に弱小といわれた三河藩を、どうやって日本全国を治めるトップまでのし上がっていったのか?現代を生きるビジネスリーダーにとって、学びたい存在ですよね。

目次

「どうする家康」三河一向一揆のピンチから学んだリーダーシップ

家康のすごい所は不遇であっても諦めない心、自制心などたくさんあります。また、時の運や家康自身の能力を超えて、優秀な家臣に恵まれたこともあるでしょう。

ただし、それらは単にラッキーだったとは言い切れません。むしろ、時機を味方につけたのも、家康の能力が見事に引き寄せたのです。それが、リーダーシップです。

260年続いた徳川幕府の礎を築いた家康のリーダーシップは、現代のビジネスパーソンも大いに学べることがあります。

徳川家康の命がけでつかみとったリーダーシップ

『忘れて、許して、仲間に率き入いれる』

『忘れて、許して、仲間に率き入いれる』について、解説しますね。

家康流リーダーシップ:①部下のミスや反発を忘れる

三河一向一揆で、本多 正信や鉢屋貞次などの家臣が離れていきました。しかし、その裏切りを根にもたずに、再び重用したのです。一旦は離れていきましたが、家康の懐の深さに家臣たちはおおいに感銘を受けました。

いかがでしょうか?信頼していた人から裏切られたことを恨みに感じる人は多いです。恨みをエネルギーの起爆剤にして「今に見ていろ!」と反骨心に変えてモチベーションにする人も多いです。

しかし、家康はちがいました。部下のミスや反逆、反発を忘れて、水に流したのです。なかなかできることではありません。懐が深いですよね。

家康流リーダーシップ:②部下を許す

三河の一向一揆一端は離れた家臣の中に本多 正信がいます。優秀ゆえに、主君の家康公が戦費をまかなうために三河の一向宗に税を課すことが、「政の道にあらず」と感じて、異を唱えたのです。

このようなエピソードからも、本多 正信がいかに優秀であったのかが分かりますよね?この本多 正信を許したことに、正信が恩義を感じて、その後徳川幕府の二代将軍 秀忠まで2代にわたって老中を務めました。

家康が短気だったら、本多 正信は命を落としていたかもしれません。それはすなわち、その後の徳川幕府を磐石にすることも叶わなかったかもしれませんね。

家康の長期的に見通す視点は、人材育成、重用、適材適所、経営におけるヒトの采配としても、学べることは多々ありますね。

家康流リーダーシップ:③敵も仲間に率き入れる

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、家康は織田信長とともに、武田信玄率いる武田軍と戦いました。この戦は、家康の生涯の中で最大のピンチだったと言われるくらいに、武田軍に惨敗しました。

そのときに家康が学んだことは

「勝つことばかり知って、負けることを知らないのは身の破滅である」です。

家康の宿敵であった武田信玄は、天正元年(1573)伊那の駒場で倒れました。信玄53歳、家康は32歳。敵とは言え、立派な武将を亡くしたことで家康は、武田信玄の死を惜しみ追悼したほどであると言い伝えられています。

その当時、家康は今川家から独立し、織田信長や武田信玄と同盟を結んで三河、遠江の領主になっていました。しかしその時点で、西には織田家、北と東には武田家がおり、家康が勢力を拡大するためには、いずれかと戦わなければいけません。

戦国最強の武田信玄と組んで織田信長と戦うという選択肢もありましたが、家康は信玄と戦う道を選び、そして「三方ヶ原の戦い」が起こるのです。両者の戦いは信玄が病没した後も、息子勝頼との間で続き、最終的には武田氏の滅亡という形で幕引きしました。

こうして武田軍は主君を失ったわけですが、家康はそののち優秀な武田の家臣を率いれました。例えば、経理に秀でた土屋長安(のちの大久保長安)は、堤防復旧や新田開発、甲斐の金山採掘などに尽力しました。

長安は、旧武田家臣団を中心とした八王子500人同心を組織して、関ヶ原の戦いではおおいに徳川軍の勝利に貢献しました。

個を超える組織を作るリーダーは危機管理ができている

家康の人生の出発点は、もともとは今川義元の人質でした。しかし、その不遇を嘆くのではなく、どうしたらこの制約条件の中で脱却できるのか?単なるフワフワ系のポジティブシンキングではなく、リアリストとして現実論で突き詰めていきました。
家康といえば、『泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』と表現されますが、急いては事を仕損じるという教訓です。

家康『泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』の学び
①機を待つ
②磐石な状況を築く
③優秀な人材を登用する。

これは、危機管理の重要性を説いていますことです。

危機管理とは、危険と機会つまりピンチとチャンスの両方への対応ということです。

現代は正解のない時代です。
現代のビジネスで生き抜くリーダーにこそ、徳川家康のリーダーシップは役に立ちそうですね。

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