叱りの達人流:アートで抽象思考を磨く「フェルメールと近江商人」

作者の死 ====== 多くの人は、作品を理解するためには、作者に「何を伝えたかったのか」と聞けばよいと思うことでしょう。つまり、作品=作者と。しかし、この哲学者は「それはまったくのナンセンスである」と言い切りました。 作品のことをフランス語で「テクスト」と呼びます。 テクストとは、フランス語で「織られたもの」を意味します。あるテクストはオリジナルではなく、すでにある無数のテクストの引用でできている。あらゆる作品は、作者のオリジナルではなく、作者がそれ以前に見聞きしたこと、触れたこと、学んだことの規定を受けている。 なので、「作者の死」を認めてテクストつまり織り上げられたことを紐解き、解読することで、作品の中にそれまでない新しい意味を見出すことができる。ふだん、常識とか、定説とか、正論とかに囚われながら見ている様々な組み合わせを解体する。すると、「隠された意味」が見えてくる。この思考法が、【抽象思考】の醍醐味です。 よく、質問されます。 「叱る」と「怒る」は、どう違うのですか?と。 「叱る」とは、「怒る」とは全く異なります。 叱る目的は、メンタルを強くすることではありません。 「怒る」は、感情の1つなので、心理学領域です。 「叱る」目的は、メンタルを強くすることではありません。強くするべきことは、精神ではなく、「思考」を鍛えることです。 「思考」を鍛えると、世界と人間がちがってみえてきます。 「思考」の鍛え方はどうしたら良いのでしょうか? ダンベルでも、スクワットでもありませんね。『抽象思考』を身につけるために最適な方法が 現代哲学だなと実感する、秋の夜長です。『真珠の耳飾りの少女』も、まなざしが語ってる? ==================== 経営者こそ『自己否定』と『抽象思考』 ==================== ではまた。]]>

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