【共感ブームの落とし穴】共感は、本当にできるのか?

世の中「共感、共感」って、共感の安売りが横行していると思いませんか?

さて、実のところ本当に共感は可能なのでしょうか?

もしかすると、あなたを不愉快にしてしまうかもしれません。
けれども、誠実でありたいからこそ、あえてゼロベースで考える必要があると思いませんか?

目次

共感は本当にできるのか?

共感は不可能です。

というのも、他人と自分の価値観や考え方が同じであるなんて、奇跡に近いと思いませんか?他人が感じていることを自分も、同じように物事と捉えることは不可能です。

よって、「共感できた」とうのは、あなたの幻想です。

この現実を直視してみましょう。「共感できない」を前提とする。

だからこそ、どうやったら相手の心に寄り添うことができるだろうか?と考えてみるのです。

「できない」からこそ、相手の心に寄り添い、歩み寄る努力をする

そもそも、相手と自分はちがう。お互いの価値観も、これまでの経験もちがう。だから、頭の中も心の中も、イメージもちがう。
相手が発する言葉を分析し、様子を手がかりにして洞察する。

なので「共感」というよりも、「共感的理解」に近いです。自分が「共感」できていると驕ってはいけません。むしろ、できていないことを出発点とする方が謙虚になれますし、もっと相手を理解しようと努める。

そうして、相手から「共感してもらえた」と言ってもらえるのが理想ですね。違いがあることを前提として、分かろうと歩み寄る。

共感的理解に努める。

人は理解し合えない生き物です。だからこそ、相手の話を聴くようにしましょう。

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